個人的に気になる論文を紹介していくコーナー。
東京大学 薬品代謝化学教室の荻原洲介大学院生、小松徹特任助教、浦野泰照教授らが、
緑茶に含まれるカテキンが遺伝子発現に関わるタンパク質の機能を制御する新たな仕組みを解明。
ざっくり言うと、
「緑茶が健康に良いって言われてきたけど、実はがんの発生を抑える効果があるかも」という内容です。
前提として、本論文の大きな成果は、
がんや細胞死など、細胞の運命を制御する生命現象「遺伝子のメチル化」を解析するツールを作ったということです。
そのツールの使用例のひとつとして、大腸がん細胞の遺伝子のメチル化を解析したところ、カテキンによるメチル化制御機構を発見し、関連分子を同定した、という流れになります。
はじめに、本論文の背景にある「遺伝子のメチル化」ってそもそも何?
研究して何の意味があるの?ということを少しお話ししておきます。
今、この記事を読んでくれているあなたと私の違いは、聞くまでもなく、遺伝子にあります。
ねじねじの、二重らせん構造の、あれです。
つまり、遺伝子が個人ごとにちょっとずつ違うので、生物学上の分類は同じ「ヒト」でも、顔も身長も異なります。
最強の個人情報、それが遺伝子ということですね。
今度は、あなた自身に注目してみましょう。
赤ちゃんの頃から体形も変わり、もしかしたらホクロも増えているかもしれません。
それは、あなたが別人になったのではなく、成長の過程で周辺環境による様々な影響を受け、今のあなたが形成されたのです。
何いってるの?当然じゃない?って思ったあなた。
目の前のスマホ、パソコン、その他もろもろのモノは時間とともに変化しないし、大きさも変わらないですよね。
もちろん経年劣化はありますが、あなたのように小さく産まれ、大きくなることはない。
変化し続けるもの、それが生きているということなのです。
人間の場合、その変化の方向性を決めるのが食習慣や運動量、紫外線への暴露、喫煙などになります。
これらによって遺伝子が影響を受け、体形が変化したり、病気になったりするわけです。
この、周辺環境と遺伝子の相互関係や時間軸による遺伝子の変化(修飾)の概念をエピジェネティクスといいます。
少し難しい言葉が出てきましたが、ゆっくり解説するので頑張ってついてきてくださいね。
エピジェネティクスは、生物の基本単位である遺伝子をコントロールすることで表現型を決定する重要なメカニズムなのです。
エピジェネティクスには色んな種類があり、その代表的なものが、
タンパク質やDNAにメチル基を修飾(メチル化)する酵素反応になります。
エピジェネティクスを制御する反応や分子をエピジェネティック制御因子といい、
エピジェネティック制御因子を解析することで、遺伝子の変化がどのような原因で生じるのかが見えてきます。
例えば、メチル化はがんの発生に関わっていることが知られています。
がん細胞では、細胞のがん化を抑制する遺伝子の発現がメチル化により抑制されています。
つまり、細胞ががんになるのを防ぐ機構が無力化されているのです。
そのメカニズムを知ってこそ、治療法や予防法が開発できるようになります。
ここまでで、遺伝子のメチル化を研究する理由はなんとなく伝わったかと思います。
がんという病気を治したり、病気にならないようにするには、
まず、がんがどのように発生・増殖するのかを知り、次に、それに対抗するにはどのような方法があるかを研究する必要があるのです。
本論文では、遺伝子のメチル化を引き起こす分子に注目し、その分子の細胞内の濃度を測定する方法を開発しました。
そして、正常な細胞とがん細胞での濃度の違いを比較検討し、実際に使ってみた結果として、カテキンはがん化抑制遺伝子のメチル化を減少させる、ということを見つけたのです。
実験の具体的な内容は酵素活性と蛍光プローブを使用した方法になりますが、これ以上は複雑になるので、
もっと知りたい人は論文やプレスリリースを参照にするか、かめさんまで連絡してください。
ここからは論文の内容について解説します。少し専門的なので、飛ばしてもらっても大丈夫です。
本論文のポイントは以下の3点です。(東京大学薬学部プレスリリースより)
◆ 生体内の遺伝子発現を制御する「メチル化」をコントロールする薬剤を化合物ライブラリから探索する仕組みを確立し、1,000 種類を超える化合物から目的の活性を有する化合物を見出した。
◆ 緑茶などに含まれるカテキン類(注1)が、酵素カテコールメチルトランスフェラーゼ(注2)の活性を介して大腸がん細胞の「メチル化」状態を低下させることを明らかにした。
◆ 緑茶の摂取の健康に与える効果の一端を説明する端緒となる成果が得られた。
(注1)カテキン類 茶葉などに含まれるフラボノイドの誘導体である一連のポリフェノール類。芳香族に水酸基が2つ結合したカテコール構造を有し、強い抗酸化作用を有することが知られている。
(注2)カテコールメチルトランスフェラーゼ(COMT) S‐アデノシルメチオニンを用いてカテコール分子にメチル基を転移する酵素。
ドーパミンなどの生理活性分子の代謝や、カテコール構造を有する薬剤の代謝に関わることが知られている。
雑誌:Journal of the American Chemical Society 題目:Metabolic Pathway-oriented Screening Targeting S-Adenosyl-L-methionine Reveals the Epigenetic Remodeling Activities of Natural-ly Occurring Catechols 著者:Shusuke Ogihara, Toru Komatsu, Yukihiro Itoh, Yuka Miyake, Takayoshi Suzuki, Kouichi Yanagi, Yusuke Kimura, Tasuku Ueno, Kenjiro Hanaoka, Hirotatsu Kojima, Takayoshi Okabe, Tetsuo Nagano, and Yasuteru Urano DOI番号: doi:10.1021/jacs.9b08698 論文へのリンク: http://dx.doi.org/10.1021/jacs.9b08698
論文の内容解説では触れませんでしたが、著者らの所属は東京大学薬学部。
つまり薬(化学)の専門家であり、有機合成化学という学問がメインになります。
有機合成化学と言われてもピンとこない方も多いと思うので、どのような学問なのかを簡単に説明します。
実験室には丸底フラスコなどのガラス器具が並び、
一般に「研究者」のイメージである白衣で試験管を揺らす、みたいな研究風景は実はこちらの分野になります。
フラスコなどのガラス器具って、研究の分野では比較的容量の大きい実験になるんですが、
有機合成化学はあのガラス器具たちをダイナミックに揺らしたり、クルクル回したりして、実験を進めます。
具体的に何をやっているのかというと、あるひとつの分子(有機物)を作り出しています。
少しイメージしづらいですが、例えば、粉薬やうま味調味料などは、あるひとつの分子(有機物)が純度高く含まれています。
もともと自然界に存在するもののなかで、
有用だと認められた分子を純度高く取り出したり、それらを改良したり、またはゼロから作り出されたりします。
分子を自由自在に操り、高価な医薬品を作り出すことから、
有機合成化学は現代の錬金術といわれる学問なのです。
有機合成化学は創薬に欠かせない技術なので、研究者としてくいっぱぐれないことでも知られています。